平成23年10月8日(土)、10月9日(日)二日間に渡って被災地である、岩手県大船渡市末崎地区を視察して参りました。

目的は、当中央支部会員である株式会社コミュニティネット(本社:東京都中央区銀座4-14-11 七十七ビル3階/☎03-5550-0130)高橋英與社長の地元でもある岩手県大船渡市が、今回の震災により大打撃を受け、故郷を復興させようという目的の元に結成された『大船渡応援団』の活動記録です。

この『大船渡応援団』とは、地域福祉をはじめとする様々な分野の専門家集団が被災地を実務的に支援して復興を確実に遂行する理念の下に結成された組織です。

今回私達は彼何に同行し、地元では何が必要なのか?今後の生活は?将来に対する不安・・・などを地元の声を生で聞き取材記録の形で、当中央支部で皆さんにアナウンス致します。今回皆さんに提供する真実の情報を通じ、皆さんにも何か一つでも心に響く事があれば幸いと感じます。そんな想いから私達広報委員会が行った取材記録をご紹介します。

取材初日/10月8日(土)

AM11:30 【いざ目的地へ】

JR東北新幹線『水沢江刺』駅に到着。その後車で約2時間掛けて移動する。

PM2:00 【ワークショップ会場に到着】

本日、午後6時より「将来の住まいを一緒に考えましょう」と題したワークショップが行われる『碁石コミュニティセンター』に到着。

PM3:00 【5部落幹部会開催 傍聴】

集落の幹部である大和田館長他の代表者と、㈱コミュニティネット高橋社長が打合せを実施。その他、大船渡応援団の皆さんや専門分野の有識者がオブザーバーとして参加し意見交換しました。

碁石地区では、43世帯のうち、実際に被害があったのは38世帯とのことで、そのうち死亡者は0人とのことでした。ただ、今後の生活に不安を持っていて、仕事もそうですが、この地にこのまま住み続けたい、それにはどうすればよいか?行政は手立てをしてくれるのか?等々の不安要素がたくさんあるとのことでした。

その中で、地元紙に載った記事によると大船渡市は、気仙3市町での推進を目指す「環境未来都市」構想を市議会議員に説明したそうです。それは、民間団体の支援を受けながら、気仙での大規模ソーラー発電所やリチウムイオン電池工場の誘致、高齢者らが生活しやすいコンパクトシティを形成する将来像を掲げる取り組みで、今後3市町として復興特区指定を目指すというものです。

しかし、これはあくまで今後の構想であり、これを待っていたらいつになるかまったくわからないのが実情です。そして、そのうちにまた災害が起きた・・・それならば、ボトムアップで地元からどんどん行政に働きかけ、積極的にそれを実行してもらう、ここで「大船渡応援団」が全面的に協力したい、地元に方々にも協力してほしい、とのことでした。しかし、地元としては東京から来た人達の話をいきなり信じろと言われても直ぐに合意も出来ない心境でした。今までもそういう人達(大学教授、企業、役所・・)が散々来て結局なにもしないで帰っていったとのことでした。これが、今の被災地の現状だと痛感しました。結局、話はそこまででとりあえず本日のワークショップを開催して住民の意見を聞いてみようということになりました。

     「住民代表とお話しする高橋社長」

PM6:00 【地区住民を交えたワークショップ開催】

ワークショップには地元の人達役30人ほど集まり、みなさんが何かに期待しているという雰囲気が伝わってきました。

ワークショップは、共同作業という意味で、意見交換をする会のことです。今回は5つの班に分かれて、将来の住まいについて意見をまとめて各班で発表しようというものです。漠然とでは話がまとまらないので、住み替えるなら、高台がいいか?低地がいいか?住宅は所有がいいか?賃貸がいいか?などのテーマ別に意見を交換しました。そんな中、普通に考えたら、『高台がいい』に意見が偏ってしますということで、ワークショップの前に、『大船渡応援団』の方から他の地域の意見を参考にして作成したプラン図を見てもらいそこから話し合いをすることになりました。

                       「住まいの実例①」

                       「住まいの実例②」

  「低地建替え案」

 私達も班に参加して、実際にワークショップ話に参加しました。班の話し合いでは様々な意見が出ました。例えば、「被害はそんなにはなかったが、今後、津波が押し寄せてきてもよいように、高台の土地の所有者に直接土地を譲ってもらえないか?との話をした。」ことなどもあるようでした。しかし、「地主もそう安くは売らなく、また高台の土地は地権者が多さから個人的に話しても話がつかない。」というのが現状との意見も出ました。

皆さん住まいに関しては、所有権にこだわることなく、賃貸でも快適な生活が営めれば別にこだわらないとの意見が多かったです。最初住民の皆さんは怪訝そうにしていましたが、みんなで話していくうちに夢がどんどん広がって、最後はすごく盛り上がっていました。

ワークッショップの終盤『その構想を実現するために私達は着ました。私達を信じてください。』と高橋社長が語気を強めて住民のみなさんに話し掛けたシーンがありました。高橋社長には、そこまで言える確かな裏づけがあるように思えます。すごい人です。支援を実行する場面では、時に迫力が必要と感じました。

「ワークショップに参加の會澤副委員長」

「皆さんの意見をまとめる小野理事長」

「住民と話し合う高橋社長」

「各班の発表①」

 「各班の発表②」

「各班の発表③」

PM9:00 【ワークショップの終了】

ワークショップはこうして無事に終わりました。

会合が始まって直ぐは、皆さん未だお互いに様子を見る節も感じられましたが、時間がたつにつれ打ち解け合い、意見交流が活発に行われていました。私達も、当初はオブザーバーの立場のつもりでしたが、ワークショップが終わる頃には、当事者の一員としてグループ内での協議にも参加させて頂くなど、決して「よそ者」では無い熱い体験をさせて頂きました。

取材二日目/10月9日(日)

AM8:30 【被災現場の状況】

私達は、地区の被災状況を視察に行きました。今までは静かな漁村であった所が場所によってはまだまだ修復工事が終っていない箇所も多くありました。大木が倒れていたりして津波の恐ろしさが伝わってきます。私達が訪れた碁石海岸の名前の由来は、海岸の石が真黒で丸く、まるで碁石のようなところからこの海岸の名前がついたとの事です。そんな静かなで風光明媚な村が・・・心が痛みます。

  「現在の末崎町泊里漁港」

「現在の碁石海岸」

「現在の末崎町泊里地区」

「熊野神社から泊里漁港を望む」

AM9:00 【大船渡の三面椿】

大船渡市末崎町の熊野神社境内で県指定天然記念物「三面椿(さんめんつばき)」の大木です。樹齢約1400年とされる古木は、海岸線よりやや高台に位置していたため、今回の津波に迫られながらも浸水を免れました。我々が訪れた前ですが、今年も真っ赤な花を例年になく多く咲かせていたそうです。

「大船渡の三面椿」

AM10:00 【陸前高田市の状況】

私達は、大船渡市を後にして南下しました。報道などでも有名となった陸前高田市の市街地は、海岸線が長くそこから近い平坦地沿いに国道や商業施設なども数多くありました。特に海岸と国道を結ぶ長い直線には「高田松原」があり、先程の碁石海岸同様三陸エリア屈指の観光スポットでもありましたが、残念ながら今回の津波被害で高田松原は壊滅していました。しかし、奇跡的に1本だけ残った松の木は、復興のシンボルとして地元では大切に見守られているそうです。

  「高田バイパス(国道45号線)」

 「高田バイパス沿いの瓦礫集積所」

AM11:00 【気仙沼市の状況】

その後私達はさらに南下し、他の地域の被災状況も確認する事になりました。岩手県を離れ、隣の宮城県気仙沼市を訪れました。こちらの状況は、大船渡とは比較にならないほどの甚大な被害状況でした。しかもほとんど手付かずです。テレビで見た状況そのままです。どうして地域によってこれほどの格差があるのでしょうか?疑問が募ります。

「陸に打ち上げられた漁船」

「街の状況①」

「街の状況②」

「街の状況③」

「街の状況④」

PM1:00 【南三陸町の状況】

私達の行程はその後も続きます。今度は更に南下した宮城県本吉郡南三陸町の歌津地区を訪れました。この一帯も、国道や市街地が海岸線から近く、街の機能は壊滅しています。先程も触れましたが、岩手県内ががれき撤去などの基礎的復旧作業が終わっている所が多かったのに対して、私達が訪れた時はこの地域では、ボランティアの集団がコンクリートの構造体を解体していた状態でした。国道沿いに佇んでいた神社の境内からは、街が一望でき復興はもとより復旧作業にも暫く時間が掛かる事が想像できました。

「三嶋神社境内から歌津市街地を望む」

「現在の歌津市街地」

(おわりに)

二日間の取材を通して感じたことは、震災から半年以上過ぎているのに復興が進んでないという点です。復興するには、確かに時間とお金と法の規制が不可欠になると思いますが、予想を超えた有様を今回直視し、今後の復興は決して楽観できるものではないと痛感しました。正直、あまりにもひどい風景に心を痛めました。

しかしそんな状況の一方で、我が中央支部の会員がその困難に真摯に取り組んで何とか復興に役立てようと考えている企業もあります。まだまだ課題が山積しているので最終的にはどうなるかはまだわかりませんが、彼らの活動と被災地の復興を信じ、今後もこの活動を見守って行きたいと思います。

平成23年11月2日

(文責:広報委員会)