今回は、コロナ禍前の2019年の11月以来、2年半ぶりに石巻市社会福祉協議会を訪れ、被災地の復興状況と、日常の生活支援に移行した現在の地域ニーズなどについてお話を伺った模様をお伝えします。
石巻市は、一級河川である北上川の河口に位置し、水産資源が豊富な地域ですが、牡鹿地区をはじめ森林に囲まれた地区も多く、その他稲作などの農業のほか、震災後に国際拠点港湾として告示を受けた、石巻港を抱えた商工業も盛んであり、幅広い産業都市です。
このような様々な顔を持つ現在の石巻市は、平成17年4月1日に旧石巻市と周辺6町が合併し、新生石巻市としてスタートを切りました。
【ご協力頂いた方】
〇社会福祉法人石巻市社会福祉協議会雄勝支所・北上支所長 平塚 信一朗 様
【取材場所】
〇石巻市社会福祉協議会雄勝・北上支所(宮城県石巻市雄勝字雄勝12番地42/宮城県石巻市北上町橋浦字大須215)ほか
【訪問日時】
〇令和4年5月24日(火)11:30~16:00
■社会福祉法人石巻市社会福祉協議会の概要
●広域を広域を見守る石巻市社祉の体制
現在の石巻市総面積の5万haを超える広域を管轄する石巻市社協ですが、本所のほか7つの地域に支所を配置しています。
○設立:2005年4月1日(石巻市の1市6町の合併に伴い新たに設立)
○本所/事務局:宮城県石巻市穀町15番2号
○支所:石巻支所/河北支所/雄勝支所/河南支所/桃生支所/北上支所/牡鹿支所
○職員数:221名(令和3年5月現在)
○主な組織内容:総務課/地域福祉課/在宅福祉課/ボランティアセンター/復興支援室
【リンク】社会福祉法人石巻市社会福祉協議会 法人ホームページ
■雄勝地区と北上地区の特徴
今回は、平塚さんが所長を務める雄勝地区と北上地区を中心に石巻市内の各拠点を訪れました。
雄勝地区は、合併前は旧桃生郡雄勝町として構成されており、東部は太平洋に面し、平成27年に「三陸復興国立公園」に編入した南三陸町金華山国定公園に位置します。雄勝漁港における水産業のほか、硯石(雄勝硯)の産地としても有名です。2012年に復元工事が完成した、国指定重要文化財である東京駅丸の内駅舎の屋根材(天然スレート)には、この雄勝石が使われています。
震災で被災し、令和3年4月から供用開始された新しい石巻市雄勝総合支所は、公民館や図書館分館なども併設された複合施設で、このほか隣接には体育館や郵便局・観光商業施設などから構成された防災集団移転団地に位置し、石巻市社協の雄勝支所もこの一角にあります。
北上地区は、雄勝地区と同じく合併前は旧桃生郡北上町として構成されていました。
北上地区は東西に長く、沿岸部の北上町十三浜で採れたワカメ(十三浜わかめ)・昆布などの水産加工品は、ブランド化され人気があります。西部は平野部を利用した、パプリカ・トマト・オリーブなどの栽培や水田も点在し、農産業が盛んです。
北上地区は、北上川の河口部に位置するため震災時の被害が大きく、旧石巻市北上総合支所は全壊し、多くの犠牲者も出ました。新しい石巻市北上総合支所は、公民館や郵便局なども併設された複合施設として、高台にある「北上にっこり地区」で令和2年4月に供用開始されました。ここは、元々あった総合スポーツ施設「にっこりサンパーク」を中心とした複合団地で、復興公営住宅や子育て支援施設・小中学校も整備されています。
■行政計画では復興支援事業が完了
●住まいの再建を支援する事業の終了
石巻市における復興公営住宅整備事業は、平成31年3月10日に完成した新西前沼第三復興住宅3号棟(32戸)が最後となり、「住まいの再建」整備目標は達成されました。震災後、石巻市内に整備された復興公営住宅は4,456戸にのぼり被災自治体では最大の数です。
そのほか、石巻市内の仮設住宅(プレハブ住宅)は、その後も被災者の入居が継続されていましたが、令和2年1月17日をもって、全団地の入居者が退去し解消となりました。
また、防災集団移転促進事業(災害危険区域に指定された地区に居住していた居住者に対し市が造成した宅地に移転する補助事業)を活用した集落の集団移転も、令和2年度で事業が完了しました。
【表】災害公営住宅入居状況 *データ諸元:宮城県公式Webサイト(令和3年10月末時点)
自治体名 |
計画戸数 |
完成戸数 |
進捗率 |
管理戸数 |
入居戸数 |
稼働率 |
石巻市 |
4,456 |
4,456 |
100.0% |
4,443 |
4,235 |
95.3% |
県合計 |
15,823 |
15,823 |
100.0% |
15,802 |
15,086 |
95.5% |
■復興支援から日常生活の支援に移行した現在の課題
住まいの再建は、国や自治体の予算措置が終了しても、自己再建者の居住確保や、復興公営住宅で暮らす被災者の日常生活支援は、ニーズがある限り終了することはありません。
今後は、石巻で暮らす方に対するソフトサービスを中心とした支援の継続がポイントとなります。
●支援の担い手確保
東日本大震災に関連し、石巻市で支援活動した災害ボランティア数は平成23年度~平成25年度までの3年間で、延30万人*¹にのぼり、また石巻災害復興支援協議会(当時)に登録し活動していた団体は300*²を超えていました。現在の、日常の地域生活支援にニーズがある段階では、当時災害ボランティアとして活動していた方々の多くは支援を終了し、石巻を離れています。
地域生活を支援する担い手不足あるいは担い手の高齢化などは、どこでも見られる課題ですが、石巻市においても大きなテーマとなっています。
*¹データ諸元:「石巻市災害ボランティアセンター事業報告書」(2014年3月社会福祉法人石巻市社会福祉協議会発行)
*²データ諸元:「社団法人石巻災害復興支援協議会(参画団体リスト)」Webサイト
●異なるニーズ、異なる生活文化への配慮
石巻市は、合併により新生した自治体の特性もありますが、市内には漁業主体の沿岸部から、農産業主体の平野部又は山間部の様々な地域特性を持っています。そのため、地域によって住民のニーズが異なります。既存住宅が密集した市街地に住んでいた方からは、スーパーなど買物利便施設の整備のニーズが多く寄せられますが、以前港に近い平坦な土地で暮らしていて、高台の防災集団移転団地に引越しをした高齢者の方にとっては、毎日の坂道の上り下りが大変で、外出頻度が落ちてしまうケースも見られます。
また、集団移転では、複数の集落がまとまって一つの団地に移り住むケースが多く、その場合生活様式や慣習の違いなどから、町会などを一つの組織に統合し、意見を集約することは簡単ではありません。
社協・自治体などの公的機関が、住民自治に介入することには限界があるので、互助・共助の地域力の育成が課題となります。
■東日本大震災における震災遺構
●石巻市震災遺構大川小学校
北上川南側の旧河北町釜谷地区にあります。小学校の敷地のほか、隣接する土地に慰霊碑・大川伝承館が整備された拠点です。震災により、大川小学校の児童・教職員84名、大川地区全体で418名の方々が犠牲となりました。
石巻市震災遺構大川小学校は、犠牲者の方を追悼するとともに、事前防災と避難の重要性を伝えていくことを目的にした文化施設です。
○住所:宮城県石巻市釜谷字韮島94番地
○交通:JR石巻駅からタクシーまたはレンタカーで約45分
○一般公開開始日:令和3年7月18日(日曜日)午後1時30分
○開場時間:午前9時から午後5時まで(年中無休)
○入場料:無料(大川震災伝承館も同じく無料)
■石巻市の隠れた観光スポット
●釣石神社
「落ちそうで落ちない受験の神」。山上から現在の北上川河口に程近い追波地区に遷宮したとされています。合格祈願、家内安全、身体健康、夫婦円満などの御利益がある神社です。
崖の中腹から突き出た周囲14メートルの御神体の巨石は、昭和53年6月に発生したM7.4の宮城県沖地震や、2011年3月に発生した東日本大震災に遭遇しても、ビクともしなかったことから、受験の神様として合格祈願に全国から多くの参拝者が訪れます。
○住所:宮城県石巻市北上町十三浜字菖蒲田305番地
○交通:三陸自動車河北ICから車で約25分
○主な年中行事:境内社例大祭9月第3日曜日/七五三詣/節分祭ほか
●大須崎灯台
大須埼灯台は、大須漁港周辺の海難事故を防ぐ目的で1949年に建設され、地域住民を見守ってきました。
2018年には、一般社団法人日本ロマンチスト協会と日本財団が共同で実施する「恋する灯台プロジェクト」において、宮城県内ではじめて恋する灯台に認定されました。
このプロジェクトは、地域の観光資源として灯台に訪れる老若男女を増やして、海への関心を高めていくことを目的としています。
2021年には、地域住民の要望活動により石巻市が、灯台にアクセスする道路と駐車場・トイレを整備しました。
○住所:宮城県石巻市雄勝町大須147-2
○交通:三陸自動車道河北ICから車で約45分
○塔高:12m
○灯高:50m
○初点灯:1949年9月
(文責:広報公益委員会)